2027年1月 エジプト縦断の旅のための読み物

エジプト予習帳

ピラミッドも神殿も、「いつ、だれが、なぜそこに造ったのか」を知ってから見ると、同じ石がまったく違って見えます。出発前に第1章から第5章までをゆっくり読み、現地では第6章を開いてください。

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ギザの三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)と、手前に並ぶ王妃たちの小さなピラミッド
ギザの三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)と、手前に並ぶ王妃たちの小さなピラミッド。写真:KennyOMG(CC BY-SA 4.0)

はじめに

今回の旅は、エジプトを北から南へ飛び、南から北へ船で戻ってくる8日間です。見る遺跡は、古いものは約4,600年前のピラミッド、新しいものは約2,000年前のギリシャ系の王の神殿で、そのあいだには2,500年以上の開きがあります。そのうえ、1960年代に湖に沈むはずだった神殿を丸ごと切り出して移した、現代の大工事の跡も見ます。

この予習帳は、遺跡を「仕組み」から読むためのものです。第1章から第5章で、ナイル川・太陽・時間という3つの鍵、時代の地層、人物、神々、文字をおさえます。第6章は現地で開く案内で、日ごとに「ここを見る」をまとめました。第7章からあとは、食事や買い物、言葉、現地での心得です。名前をヒエログリフで書く欄や、値札の数字を読む道具もつけました。

ギザ1/4カイロアスワン1/5・1/6〜7ハイダムアブシンベル1/5〜6コムオンボ 1/7エドフ 1/8エスナ水門 1/8ルクソール1/8〜9ナセル湖シナイ半島紅海西方砂漠(サハラの東の端)東方砂漠エジプトスーダン1/5 空路1/9 夜の空路成田 ⇄ カイロバスで往復 280km北クルーズ船(3泊)バス飛行機畑(ナイル沿いの緑)ナイル川と湖100km
旅のルート。南へ飛び、さらに砂漠をバスで南下してから、ナイルを北へ下って戻ってきます。
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旅を読む3つの鍵

ナイル川、太陽の向き、そして3,000年という時間。この3つがわかると、遺跡の多くは読み解けます。

鍵1 ナイルが国をつくった

エジプトの国土の9割以上は砂漠です。それでも約5,000年前にこの地に大きな国ができたのは、ナイル川があったからです。宇宙から見ると、エジプトは茶色の砂漠のなかに、緑の線が1本通っているだけの国だとわかります。人が住み、畑が広がるのは、この細い帯と、北の三角州(デルタ)だけ。今もエジプトの人の大部分は、この緑の部分に暮らしています。

宇宙から見たナイル川
宇宙から見たナイル川。砂漠の中を緑の細い帯が北へのび、地中海の手前で三角州に広がる。右はシナイ半島と紅海。写真:NASA(MODIS)(パブリックドメイン)

古代エジプトの人は、自分たちの国を「ケメト(黒い土地)」と呼びました。毎年夏になると上流から洪水がやってきて、黒く肥えた泥を畑に置いていったからです。その外側の砂漠は「デシェレト(赤い土地)」。黒い土地と赤い土地の境目は、今でも一歩でまたげるほどくっきりしています。バスの窓から、畑が急に砂漠に変わる場所を探してみてください。

暦も洪水を中心に回っていました。1年を「アケト(増水)」「ペレト(種まき・生育)」「シェムウ(収穫)」の3つの季節に分け、夜明け前の東の空に明るい星シリウスが現れるころを新年としました。ちょうど洪水が始まる時期です。

ペレト種まき・生育シェムウ収穫・水が少ないアケト増水(洪水)ペレト1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月1月の旅畑が青々と育つ季節𓇼シリウスが夜明けに現れる=新年・増水の始まりナイルの水位(ダムができる前のイメージ)
ナイルの1年(ダムができる前)。季節と月の対応はおおよそです。1月の旅はペレトの季節にあたります。

洪水が大きすぎると村が流され、小さすぎると飢饉になります。そこで神殿には「ナイロメーター(水位計)」が造られました。水位の記録から収穫の見込みを立て、それをもとに税を決めたのです。1/7に訪ねるコムオンボ神殿には、井戸の形をしたナイロメーターがあります。

コムオンボ神殿のナイロメーター
コムオンボ神殿のナイロメーター。井戸の形をした水位計で、内側の壁で水の高さを読んだ。写真:JMCC1(CC BY-SA 3.0)
来世の楽園で畑を耕すセンネジェム
来世の楽園で畑を耕すセンネジェム。古代の人は死後の世界にもナイルと畑があると考えた(ルクソール西岸の職人の墓、前13世紀)。写真:センネジェム墓の画家(パブリックドメイン)

ナイルは道路でもありました。川は南から北へ流れ、風は一年の大半、北から吹きます。だから、北へ行くときは流れに乗り、南へ行くときは帆を張れば進めました。ヒエログリフでは、「北へ行く(川を下る)」という言葉に帆をたたんだ船𓊛を、「南へ行く(川をさかのぼる)」という言葉に帆を張った船𓊝を添えます。言葉そのものに、この川の仕組みが刻まれているのです。

北・下流(地中海とデルタへ)南・上流(アスワン方面)下エジプト上エジプト𓊛北へ行く船帆をたたみ流れに乗る𓊝南へ行く船帆を張り北風を受ける北風
ナイルの流れと風。上流の南が「上エジプト」、下流の北の三角州が「下エジプト」です。地図の上下とは逆なので注意。

上流の南を「上エジプト」、下流の北を「下エジプト」と呼びます。アスワンやルクソールは上エジプト、カイロは2つの国の境目のあたりにあります。古代の王は「上下エジプトの王」と名乗りました。

何千年も続いたこの仕組みを終わらせたのが、1970年に完成したアスワン・ハイダムです。洪水はなくなり、1年中畑に水を引けるようになりました。代わりに、肥えた泥はダム湖の底にたまるようになりました。このダムの話は、第6章の1/5でくわしく読みます。

鍵2 東は生、西は死

太陽は毎朝、東から昇り、夕方には西に沈みます。古代エジプトの人は、太陽は夜のあいだ地下の冥界を旅して、朝にまた生まれてくると考えました。だから東は誕生の方角、西は死者の国の方角です。亡くなった人を「西の人々」と呼んだほどです。

太陽の神ラー・ホルアクティ(右、ハヤブサの頭に太陽の円盤)と、うしろに座る西の女神イメンテト
太陽の神ラー・ホルアクティ(右、ハヤブサの頭に太陽の円盤)と、うしろに座る西の女神イメンテト。女神の頭の上の記号𓋀は「西」を表す。ネフェルタリの墓の壁画。写真:ネフェルタリ墓の画家(パブリックドメイン)

そのため、墓やピラミッドは、たいていナイルの西岸に造られました。ギザのピラミッド(1/4)も、王家の谷(1/9)も西岸です。いっぽう、生きている人の町と、毎日神々に祈りをささげる神殿は東岸にありました。ルクソールでは、この配置が一目でわかります。川をはさんで、東岸にカルナック神殿とルクソール神殿、西岸に王家の谷と葬祭殿が向かい合っています。

日の出日の入北カルナック神殿ルクソール神殿スフィンクス参道約2.7km王家の谷カーター・ハウスハトシェプスト葬祭殿貴族の墓ラムセウムメムノンの巨像黄金都市西岸=死者の町(1/9午前)東岸=生者の町(1/8・1/9)
ルクソールの東岸と西岸(模式図)。●入場して見学、◎降りて外から見学、○車窓から見る(ツアーのパンフレットと同じ記号)。

アブシンベル神殿(1/5〜6)は、ナイルの西岸の岩山を掘って造られ、入口は東を向いています。年に2回、朝日が神殿のいちばん奥まで差し込むように設計されていました。この仕組みは第6章で図を使って読みます。

鍵3 3,000年の奥行き

古代エジプトの文明は、ピラミッドの時代からクレオパトラまで、およそ3,000年続きました。数字が大きすぎて実感しにくいので、比べてみます。クフ王のピラミッドからクレオパトラまでは約2,500年。クレオパトラから今回の旅までは約2,050年です。クレオパトラは、ピラミッドを造った人々よりも、私たちのほうに近い時代の人なのです。

初期王朝古王国中王国新王国第3中間期末期王朝ローマ・ビザンツイスラーム諸王朝近現代クフ王のピラミッド前2560年ごろ新王国アブシンベル・王家の谷ほかプトレマイオス朝フィラエ・コムオンボ・エドフ今回の旅2027年1月ツタンカーメンクレオパトラ没最後のヒエログリフ解読(1822年)前3000年前2000年前1000年紀元1年1000年2000年ピラミッド → ツタンカーメン:約1,200年ピラミッド → クレオパトラ:約2,500年クレオパトラ → 今回の旅:約2,050年

図は横にスクロールできます。

5,000年のものさし。色の濃い帯が、今回の旅で遺跡に会える時代です。細い灰色の区間は、国が分裂した時代(中間期)。

ツタンカーメンにとっても、ピラミッドは1,200年前の遺跡でした。古代のエジプト人自身が古い遺跡を訪ね、修理をし、壁に落書きを残しています。スフィンクスの前足のあいだに立つ「夢の碑文」(1/4)は、その証拠のひとつです。

今回見る遺跡は、おもに3つの時代に集まっています。ピラミッドの「古王国」、アブシンベルや王家の谷の「新王国」、そしてクルーズで訪ねる神殿の「プトレマイオス朝」です。プトレマイオス朝は、アレクサンドロス大王の部下が開いたギリシャ系の王朝で、王たちはエジプトの伝統にならって古い様式の神殿を建てました。クルーズで見る神殿は、見た目は古代エジプトそのものですが、ピラミッドより2,300年ほど新しいのです。

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時代の地層

エジプトの遺跡は、新しい時代が古い時代の上に積み重なってできています。

地層は、新しいものほど上に積もります。エジプトの遺跡も同じです。ルクソール神殿の中庭には、古代の神殿の上に中世のモスクが建っていて、モスクの扉は今の地面よりずっと高いところにあります。モスクが建てられたころ、神殿は砂と土に埋もれていて、地面はあの高さにあったのです。19世紀に神殿を掘り出したとき、モスクだけが元の高さに残りました。

ルクソール神殿の上に建つアブー・ハッガーグ・モスク(左)
ルクソール神殿の上に建つアブー・ハッガーグ・モスク(左)。今も祈りの場として使われている。右は神殿の塔門。写真:Marc Ryckaert(CC BY 3.0)

今回の旅で見るものを、時代の層ごとに並べました。上ほど新しく、下ほど古い層です。

↑ 新しい
  1. 近現代1798年〜

    ナポレオンの遠征(1798年)でロゼッタ・ストーンが見つかり、1822年にヒエログリフが解読されました。そこから発掘の時代が始まり、スエズ運河、ハイダム、遺跡の移設、そして2025年の大エジプト博物館へと続きます。

    1/4メナハウス、大エジプト博物館 1/5ハイダム 1/5〜7アブシンベルとフィラエの移設 1/9カーター・ハウス

  2. イスラームの時代641年〜

    アラブの軍が来て、アラビア語とイスラームが広まりました。今のエジプトの言葉と暮らしは、この層の上にあります。

    1/8ルクソール神殿の上のモスク 毎日町に響く祈りの呼びかけ

  3. ローマとキリスト教前30年〜641年

    クレオパトラの死後、エジプトはローマの領土になりました。キリスト教が広まると、神殿は教会に使われ、神々の顔が削られたり、壁に十字架が刻まれたりしました。

    1/7フィラエ島の十字架、トラヤヌスのキオスク 1/8エドフ神殿の黒いすす、ルクソール神殿のローマ時代の壁画 1/9「歌う」メムノンの巨像

  4. プトレマイオス朝前305年〜前30年

    アレクサンドロス大王の部下プトレマイオスが開いたギリシャ系の王朝。王たちはエジプトの神々を敬い、古い様式の神殿を各地に建てました。最後の女王がクレオパトラ7世です。

    1/7フィラエ島のイシス神殿、コムオンボ神殿 1/8エドフのホルス神殿

  5. 新王国前1550年〜前1069年

    都テーベ(今のルクソール)を中心に、エジプトがいちばん栄えた時代。王たちはピラミッドをやめ、王家の谷に墓を隠しました。

    1/4ツタンカーメンの財宝 1/5〜6アブシンベル 1/8ルクソール神殿 1/9王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿、メムノンの巨像、カルナック神殿

  6. 古王国前2686年〜前2181年

    王の力がもっとも強く、巨大なピラミッドが造られた時代。

    1/4ギザの三大ピラミッドとスフィンクス

↓ 古い

新王国の500年を拡大する

今回の旅でもっとも多くの遺跡を見るのは、新王国です。王たちを時間の順に並べると、だれの遺跡をどこで見るのかがつながって見えてきます。

新王国の始まり新王国の終わりハトシェプスト葬祭殿・オベリスクアメンホテプ3世ルクソール神殿・メムノンツタンカーメン王墓・黄金のマスクラムセス2世アブシンベルトトメス3世カルナックを大増築アクエンアテン一神教的な改革セティ1世王墓カデシュの戦い(前1274年)ヒッタイトと平和条約(前1259年)前1550年前1500年前1450年前1400年前1350年前1300年前1250年前1200年前1150年前1100年

図は横にスクロールできます。

新王国の王たち。濃い色の帯が、今回の旅で遺跡や遺品に会える王です。在位年は一般的な説で、研究者によって数年ずれます。

とくに第18王朝の終わりは、ドラマのような時代でした。アクエンアテンは数多くの神々を退け、太陽そのものを表す神アテンだけを崇めて、都まで移しました。その子とされるツタンカーメンは9歳ほどで王になり、父の改革を元に戻します。そして10年ほどのち、18〜19歳で亡くなりました。王家の血はそこで途切れ、軍人出身の王ホルエムヘブのあと、ラムセス家の第19王朝が始まります。

第18王朝(終わりごろ)

  1. アメンホテプ3世ルクソール神殿、メムノンの巨像
  2. アクエンアテン太陽神アテンだけを崇める改革。妻はネフェルティティ
  3. ツタンカーメンアクエンアテンの子とする説が有力(2010年のDNA調査)
  4. アイツタンカーメンの後を継いだ年配の重臣。王墓の壁画に登場する
  5. ホルエムヘブ軍人出身の王

第19王朝

  1. ラムセス1世ホルエムヘブに仕えた軍人
  2. セティ1世王家の谷でいちばん長く美しい墓
  3. ラムセス2世アブシンベルを造った王。妻はネフェルタリ

矢印は王位の受け渡しを表します。親子とはかぎりません。

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人物

旅のあいだに名前が何度も出てくる12人です。

クフ王

クフ王

在位 前2589〜前2566年ごろ

史上最大のピラミッドを造らせた王。ところが、確実に本人とわかる像は、高さわずか7.5cmの象牙の小像(写真)ひとつだけです。

会える場所:1/4 ギザのピラミッド

写真:Mortel(CC BY 2.0)

ハトシェプスト

ハトシェプスト

在位 前1479〜前1458年ごろ

男性の王として即位した女王。像では付けひげをつけ、王の頭巾をかぶる。死後しばらくして、名前や姿が削られた。

会える場所:1/9 葬祭殿、カルナックのオベリスク

写真:メトロポリタン美術館(CC0)

アメンホテプ3世

アメンホテプ3世

在位 前1390〜前1352年ごろ

新王国がいちばん豊かだった時代の王。ルクソール神殿を建て、メムノンの巨像(写真)は彼自身の像。

会える場所:1/8 ルクソール神殿、1/9 メムノンの巨像

写真:MusikAnimal(CC BY-SA 4.0)

アクエンアテン

アクエンアテン

在位 前1353〜前1336年ごろ

太陽神アテンだけを崇める改革を行い、都をアマルナへ移した王。写真は大エジプト博物館にある頭部。

会える場所:1/4 大エジプト博物館

写真:Richard Mortel(CC BY 2.0)

ツタンカーメン

ツタンカーメン

在位 前1332〜前1323年ごろ

9歳ほどで即位し、18〜19歳で亡くなった若い王。墓がほとんど荒らされずに見つかり、世界でいちばん有名なファラオになった。

会える場所:1/4 黄金のマスク、1/9 王墓

写真:Roland Unger(パブリックドメイン)

セティ1世

セティ1世

在位 前1290〜前1279年ごろ

ラムセス2世の父。王家の谷でいちばん長く、いちばん美しいと言われる墓を造った。写真はアビドスの神殿で、神に供え物をささげる王の浮き彫り(左端の人物)。

会える場所:1/9 王家の谷

写真:Roland Unger(CC BY-SA 3.0)

ラムセス2世

ラムセス2世

在位 前1279〜前1213年ごろ

約66年も王位にあり、子どもは100人以上とされる。各地に巨像と神殿を建て、自分の名を刻ませた。

会える場所:1/5〜6 アブシンベル、1/8・1/9 ルクソール

写真:Pbuergler(CC BY-SA 3.0)

ネフェルタリ

ネフェルタリ

前13世紀

ラムセス2世の最愛の王妃。アブシンベル小神殿では王と同じ大きさの像で表された。写真は墓の壁画で、盤上遊戯セネトをする姿。

会える場所:1/5〜6 小神殿

写真:ネフェルタリ墓の画家(パブリックドメイン)

クレオパトラ7世

クレオパトラ7世

前69〜前30年

プトレマイオス朝最後の女王。この王朝で初めてエジプトの言葉を話せた王だと伝えられる。その名前はヒエログリフ解読の鍵になった。

会える場所:1/7 フィラエ島

写真:José Luiz(パブリックドメイン)

シャンポリオン

シャンポリオン

1790〜1832年

1822年、ヒエログリフの読み方を解き明かしたフランスの学者。1,400年以上読めなかった文字が、ふたたび読めるようになった。

会える場所:第5章

写真:レオン・コニエ(画)(パブリックドメイン)

ハワード・カーター

ハワード・カーター

1874〜1939年

1922年、ツタンカーメン王墓を見つけたイギリスの考古学者。発掘の資金を出したのはカーナヴォン卿。

会える場所:1/9 カーター・ハウス

写真:シカゴ・デイリー・ニューズ(パブリックドメイン)

ナセル

1918〜1970年

エジプトの大統領。1956年にスエズ運河を国有化し、ソ連の協力でアスワン・ハイダムを完成させた。ダム湖の名前は彼にちなむ。

会える場所:1/5 アスワン・ハイダム

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神々

頭の形と冠を見れば、名札がなくても、だいたい誰かわかります。

神殿の壁は神々でいっぱいです。古代エジプトの神は、動物の頭、冠、手に持つ物で見分けられるように描かれました。ハヤブサの頭ならホルスかラー、ワニならソベク、ジャッカルならアヌビス。左の記号は、それぞれの神を表すヒエログリフです。

ラーラー・ホルアクティ

ハヤブサの頭に太陽の円盤

太陽の神。昼は船で空を渡り、夜は冥界を旅して、朝にまた生まれる。

アブシンベル大神殿の入口の上と至聖所(1/5〜6)

アメンアメン・ラー

2本の高い羽根飾りの冠

テーベ(ルクソール)の守り神。太陽神ラーと合わさって「神々の王」になった。

カルナック神殿、ルクソール神殿(1/8〜9)

プタハ

体にぴったりの衣と、ぴったりした帽子

職人の神で、言葉で世界を造ったとされる創造の神。古都メンフィスの神。

アブシンベルの至聖所。朝日が届かない1体(1/6)

オシリス

白い冠、ミイラの姿、緑か黒の肌

冥界の王で、よみがえりの神。手に曲がった杖と殻竿(からざお)を持つ。

王墓の壁画(1/9)、フィラエ島(1/7)

イシス

頭に玉座の形の飾り

オシリスの妻で、ホルスの母。魔術と母の愛の女神。のちには牛の角と太陽の円盤もかぶる。

フィラエ島のイシス神殿(1/7)

ホルス

ハヤブサ、またはハヤブサの頭の男性

王を守る神。生きている王はホルスの化身と考えられた。

エドフのホルス神殿(1/8)、コムオンボ神殿(1/7)

セト

正体のわからない動物の頭(長い鼻、四角い耳)

砂漠と嵐の神。兄オシリスを殺した悪役だが、太陽の船を守る力持ちの面もある。

エドフ神殿の壁ではカバの姿で退治される(1/8)

ハトホル

牛の角のあいだに太陽の円盤、牛の耳の女性の顔

愛と音楽と母の女神。柱の上に顔だけ彫られていることも多い。

アブシンベル小神殿(1/5〜6)、ハトシェプスト葬祭殿(1/9)

ソベク

ワニの頭

ナイルの水と豊かさの神。ワニの多い土地で大切にされた。

コムオンボ神殿とワニの博物館(1/7)

アヌビス

黒いジャッカル(イヌ科の動物)の頭

ミイラ作りと墓の守り神。死者の心臓をはかる場面にもいる。

王家の谷の壁画(1/9)、ハトシェプスト葬祭殿の礼拝堂

トト

トキ(くちばしの曲がった鳥)の頭。ヒヒの姿のことも

文字と知恵の神。死者の裁判では記録係をつとめる。

各地の神殿と墓の壁画

クヌム

ねじれた角の雄羊の頭

ろくろで人間を形づくる神。ナイルの水源を守る神としてアスワンやエスナで祀られた。

エスナの町の神殿(1/8、今回は寄らない)

マアト

頭に1本のダチョウの羽根

真理と秩序の女神。死者の心臓は、マアトの羽根と天秤ではかられた。

王が神にマアトの像をささげる場面(各地の神殿)

ヌト

弓なりの体で空をおおう女神

天空の女神。夕方に太陽を飲みこみ、朝にまた産むとされた。体には星が描かれる。

王墓の天井(1/9)

冥界の王オシリス
冥界の王オシリス。白い冠、ミイラの姿、手に杖と殻竿(ルクソール西岸、センネジェムの墓)。写真:Gerd Eichmann(CC BY-SA 4.0)
コムオンボ神殿のワニの神ソベク(左から2人目)
コムオンボ神殿のワニの神ソベク(左から2人目)。写真:Hedwig Storch(CC BY-SA 3.0)

オシリス神話で、クルーズの航路がつながる

神々の王オシリスは、弟のセトにねたまれて殺され、体をばらばらにされてしまいます。妻のイシスは国中をめぐって体を集め、魔術でよみがえらせて、息子のホルスを身ごもりました。オシリスは冥界の王となり、成長したホルスはセトと戦って王位を取り戻します。

この神話は、王の仕組みそのものでもありました。生きている王はホルス、亡くなった王はオシリスになると考えられたのです。そしてこの神話の舞台が、クルーズの航路に並んでいます。

北アビドス(今回は寄らない)オシリスの墓があるとされた古代最大の巡礼地エドフ(1/8)ホルスがセトを打ち負かした場所とされ、神殿の壁に戦いの物語が刻まれているコムオンボ(1/7)大ホルス(ハロエリス)とワニの神ソベクをひとつの神殿に並べて祀るフィラエ島(1/7)夫をよみがえらせた女神イシスの聖地。向かいのビガ島はオシリスが眠る島とされた
オシリス神話の舞台をナイル沿いに並べた図。クルーズは南のフィラエ島から北のエドフへ、神話をたどるように進みます。
エドフのホルス神殿の入口に立つ、黒い花崗岩のハヤブサ像
エドフのホルス神殿の入口に立つ、黒い花崗岩のハヤブサ像。王冠をかぶったホルスそのもの。写真:Marc Ryckaert(CC BY-SA 4.0)

王の冠と、額の飾り

王の像や浮き彫りでは、冠を見ると何を表しているかがわかります。

白冠
上エジプト(南)の王
赤冠
下エジプト(北)の王
二重冠
上下エジプトを合わせて治める王
青冠
新王国の王が戦いや儀式でかぶる

もうひとつよく出てくるのが、青と金の縞の頭巾「ネメス」です。スフィンクスやツタンカーメンの黄金のマスクがかぶっています。マスクの額には、コブラとハゲワシが並んでいます。コブラは下エジプトの女神ウアジェト、ハゲワシは上エジプトの女神ネクベト。2つの国を治める王であることを示す、ひとそろいの守りです。

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ヒエログリフ入門

絵のように見えて、ちゃんと音を表す文字です。しくみは、漢字とかなをまぜて書く日本語に少し似ています。

セティ1世の墓の壁の断片
セティ1世の墓の壁の断片。鳥、目、パン、縄など、身のまわりの物の形が文字になっている。写真:古代エジプトの書記(自由利用可)

3つのしくみ

音を表す文字

1文字で子音1つを表す文字が約24個あり、アルファベットのように使えます。ほかに、子音2つや3つを表す文字もあります。

意味を表す文字

絵がそのまま意味を表します。𓇳は「太陽」、𓉐は「家」。漢字の象形文字と同じ考え方です。

決定詞

読まずに語の最後につけて、意味の種類を示します。座った男性𓀀なら男の人、座った女性𓁐なら女の人に関わる語です。

ヒエログリフは、母音をふつう書きません。だから古代の正確な発音には、今もわからない部分があります。「ツタンカーメン」も「トゥトアンクアメン」も、後から母音を補った読み方です。

読む向きは、顔が教えてくれる

人や動物の顔が向いている側から読みます。顔が左を向いていれば左から右へ、右を向いていれば右から左へ。縦に並べて上から読むこともあります。神殿の壁では、同じ言葉が左右対称に向き合って刻まれていることがよくあります。

フクロウの顔が左を向いている → 左から右へ読む
フクロウの顔が右を向いている → 右から左へ読む

名前の部品を覚えると、王の名前が読める

王の名前は、いくつかの部品の組み合わせです。部品をいくつか覚えておくと、壁のカルトゥーシュ(王の名前を囲む楕円の枠)から、だれの名前かを当てられるようになります。

部品読み・意味入っている名前
𓇳ラー(太陽神)ラムセス、メンマアトラー(セティ1世の即位名)
𓄟メス(生む)ラムセス(ラーが生んだ者)、トトメス(トト神が生んだ者)
𓇋𓏠𓈖アメン(神の名)アメンホテプ(アメンは満足する)、ツタンカーメン
𓊵ホテプ(満足・やすらぎ)アメンホテプ
𓋹アンク(生命)ツタンカーメン(アメンの生ける姿)
𓄤ネフェル(美しい・よい)ネフェルタリ(美しい伴侶)、ネフェルティティ(美しい人が来た)

ひとつ、おもしろい決まりがあります。神の名前は、敬意を表して先頭に書くのです。だからツタンカーメンのカルトゥーシュは「アメン」から始まりますが、読むときは「トゥト・アンク・アメン」の順にします。

𓇋𓏠𓈖𓏏𓅱𓏏𓋹𓋾𓉺𓇗
  1. 𓇋𓏠𓈖イメン(アメン) 神の名。敬意を表して先頭に置く
  2. 𓏏𓅱𓏏トゥト 姿・像
  3. 𓋹アンク 生きている
  4. 𓋾𓉺𓇗ヘカ・イウヌ・シェマ 「上エジプトのヘリオポリス(テーベ)の支配者」という称号

本物のカルトゥーシュでは、記号は上下にも組み合わせて四角く詰めて書かれます。ここでは横一列に並べました。

セティ1世の2つのカルトゥーシュ(王墓の柱の壁画)
セティ1世の2つのカルトゥーシュ(王墓の柱の壁画)。左が即位名「メンマアトラー」で、いちばん上に太陽𓇳がある。右が誕生名「セティ・メルエンプタハ」。王は5つの名前を持ち、そのうち2つをカルトゥーシュに入れた。写真:Osama Shukir Muhammed Amin(CC BY-SA 4.0)

よく見る記号

神殿の壁には、同じ記号が何度も出てきます。とくに「𓋹𓊽𓌀」が並んでいたら、「生命・安定・力」。神が王に授けるひとそろいの言葉です。

アンク生命
ジェド安定。オシリスの背骨とも
ウアス力・支配の杖
ウジャトホルスの目。守りと健康
ケペルスカラベ(フンコロガシ)。生まれ変わり
ラー太陽、太陽神
ネチェル神。旗を立てた竿の形
ネフェル美しい・よい
ホテプ満足・供え物の台
セバ星。墓の天井にずらりと並ぶ

自分の名前をヒエログリフで書いてみる

おみやげ店では、名前をヒエログリフで刻んだ銀や金のカルトゥーシュを作ってくれます。そのとき使うのは、1文字に1つの音を当てる「アルファベット式」です。下の欄に名前を入れると、同じ方式で書けます。ひらがな・カタカナ・ローマ字のどれでも入力できます。

𓈖𓇋𓆑𓇋𓂋𓏏𓄿𓂋𓇋𓁐

nefertari(例:ネフェルタリ)

古代エジプトの言葉にない音(たとえば「お」や「え」)は、近い音の文字で代用しています。フクロウ𓅓は「m」、水𓈖は「n」、ライオン𓃭は「l」。ライオンは、プトレマイオス朝の時代に、ギリシャ語の名前の「l」を書くために使われるようになりました。

解読の物語:鍵はフィラエ島にあった

ヒエログリフは4世紀の終わりに使われなくなり、読み方は1,400年以上忘れられていました。最後に刻まれたヒエログリフの碑文は、394年。1/7に訪ねるフィラエ島にあります。

1799年、ナポレオンの遠征隊がロゼッタ・ストーンを見つけます。同じ内容の文章が、ヒエログリフ、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字の3つで刻まれた石でした。ギリシャ語は読めるので、ここから謎解きが始まりました。

ロゼッタ・ストーン(大英博物館)
ロゼッタ・ストーン(大英博物館)。上段がヒエログリフ、中段がデモティック、下段がギリシャ文字。写真:Hans Hillewaert(CC BY-SA 4.0)
フィラエ島から運ばれ、今はイギリスの屋敷の庭に立つオベリスク
フィラエ島から運ばれ、今はイギリスの屋敷の庭に立つオベリスク。クレオパトラの名前が刻まれていた。写真:Eugene Birchall(CC BY-SA 2.0)

手がかりは、カルトゥーシュに入った王の名前でした。ロゼッタ・ストーンにはプトレマイオス、フィラエ島のオベリスクにはクレオパトラの名前があります。フランスの学者シャンポリオンは、2つの名前に共通する文字に注目しました。

名前12345
プトレマイオス(P-T-O-L-M-Y-S)P
𓊪
TOL
𓃭
M
クレオパトラ(K-L-E-O-P-A-T-R-A)KL
𓃭
EOP
𓊪

腰かけの形𓊪とライオン𓃭が、プトレマイオスでは1番目と4番目、クレオパトラでは5番目と2番目に現れます。ギリシャ語の綴りのPとLの位置と、ぴったり合いました。ヒエログリフが音を表す文字だという証拠です。シャンポリオンは1822年に解読を発表し、エジプトの歴史は一気に読めるようになりました。

数字も書ける

古代エジプトの数字は、記号を必要な数だけ並べて書きます。旅程ページの日付の上に並べた縦線も、この数字です。

1縦線
10家畜の足かせ
100巻いた縄
1,000ハスの花
1万指
10万オタマジャクシ
100万両手を上げた神ヘフ

たとえば旅の年の2027は、ハスの花2つ、足かせ2つ、縦線7本で 𓆼𓆼𓎆𓎆𓐀 と書きます。第8章の数字の道具でも変換できます。

6

日ごとの見どころ

現地で開く章です。日ごとに、その日の物語と、場所ごとの「ここを見る」をまとめました。

記号はツアーのパンフレットと同じです。●入場して見学、◎降りて外から見学、○車窓から見る。ガイドさんへの質問の例も入れておきました。少人数のツアーなら、こうした質問から思いがけない話が聞けることがあります。

2日目 1月4日(月)

ギザ ピラミッドの台地と、新しい博物館

未明にカイロに着き、まだ暗いうちにギザへ向かいます。ギザはナイルの西岸、つまり「死者の側」の台地です。約4,500年前、ここに3人の王が続けて巨大な墓を造りました。午後は、そのすぐそばに2025年に開いた大エジプト博物館へ。いちばん古い遺跡と、いちばん新しい博物館を1日で見る日です。

マリオット・メナハウス(朝食・宿泊)

メナハウスの客室から見たクフ王のピラミッド(左)
メナハウスの客室から見たクフ王のピラミッド(左)。ホテルの庭とピラミッドがほとんど地続きになっている。写真:Paul Mannix(CC BY 2.0)

ピラミッドの目の前に建つこのホテルは、1869年、エジプトの副王イスマーイールが狩りの館として建てた建物が始まりとされます。1886年にホテルになりました。

日本と関わりの深い歴史もあります。1943年11月、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、中華民国の蔣介石が、このホテルで会談しました(カイロ会談)。そこでまとめられたカイロ宣言は、日本が台湾や満州などを中華民国に返すこと、朝鮮を独立させることをうたいました。2年後のポツダム宣言には「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」と書かれ、日本はこれを受け入れて戦争を終えます。朝食の席から見える庭は、戦後の東アジアの形が話し合われた場所でもあるのです。

1943年11月、カイロ会談の3人
1943年11月、カイロ会談の3人。左から蔣介石、ルーズベルト、チャーチル(メナハウスにて)。写真:FDR図書館所蔵(パブリックドメイン)

●クフ王のピラミッド(内部に入る)

クフ王のピラミッド
クフ王のピラミッド。建てたときの高さは146.6m、今は頂上が失われて約138.5m。写真:Douwe C. van der Zee(CC BY-SA 4.0)

世界最大のピラミッドは、約230万個の石灰岩のブロックでできています。1個の重さは平均約2.5トン。約20年かけて造られたと考えられています。もとは全体が白い化粧石でおおわれ、日の光を照り返して輝いていました。化粧石の多くは、のちにカイロの町を造るために運び去られました。

?本来の入口地上約17m北面の通路2023年に確認見学の入口9世紀に掘られた穴下降通路地下の間(未完成)巨大な空間(用途不明)2017年、宇宙線で発見重力軽減の間作業班の落書きに王の名王の間(花崗岩)大回廊(高さ8.6m)女王の間上昇通路(高さ約1.2m)前かがみで約40m登る建設時 146.6m現在 約138.5m北南50m

図は横にスクロールできます。

クフ王のピラミッドの南北の断面(模式図)。オレンジの線が、見学で歩く道です。9世紀に掘られた穴から入り、上昇通路と大回廊を登って王の間へ向かいます。
大回廊
大回廊。高さ8.6m、長さ47m。天井に向かって石が少しずつせり出す造りで、上の重さを両側の壁に逃がしている。写真:Gary Todd(CC0)

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  • 入口:見学用の入口は、本来の入口(約17mの高さ)より下に、9世紀に掘られた盗掘の穴です。本来の入口の上には、山形に組んだ大きな石が見えます。
  • 上昇通路:高さ約1.2mの通路を、前かがみで約40m登ります。床には滑り止めの板と手すりがあります。
  • 大回廊:急に天井が高くなる瞬間が、内部のいちばんの見どころです。天井が階段状にせり出す「持ち送り」の造りを見上げてください。
  • 王の間:アスワンから運んだ赤い花崗岩の部屋。ふたのない石棺がひとつ置かれています。財宝は古代のうちに盗まれていました。

仕組みの話

石はどうやって運ばれたのでしょう。本体の石灰岩は台地のすぐそばで切り出され、表面の白い化粧石はナイルの対岸のトゥーラから、王の間の花崗岩ははるか南のアスワンから、船で運ばれました。2013年、紅海の近くで見つかったパピルスに、トゥーラの石を船でギザへ運んだ役人メレルの業務日誌が書かれていました。今わかっている中で最も古い、文字の書かれたパピルスです。

造ったのは、食べ物と住まいを与えられて働いた労働者たちでした。奴隷が造ったという昔の説は、今では否定されています。1990年、ピラミッドの近くで労働者たちの墓が見つかっています(パンフレットの注1で、王妃のピラミッドの代わりに案内されるのがこの墓です)。王の間の上の「重力軽減の間」には、作業班が残した「クフの友」といった落書きがあり、このピラミッドがクフ王のものだという大切な証拠になっています。

今も調査は続いています。2017年、名古屋大学などの国際チームが、宇宙から降り注ぐミューオンという粒子を使ってピラミッドを透視し、大回廊の上に長さ30m以上の空間があることを発表しました。2023年には、北面の入口の上に隠れた通路があることを、カメラを差し込んで確かめています。

首と腰を守る見方

上昇通路では、前かがみの姿勢が数分続きます。首や腰に不安がある人は、無理に頭を上げず、足元を見ながら一歩ずつ進むと楽です。中は暑く、空気がこもっています。閉じた空間が苦手な人は、外で待つこともできます。

●王妃のピラミッドと、◎パノラマポイント

クフ王のピラミッドの東側には、王妃や王族のための小さなピラミッドが3基並んでいます。そのひとつに入り、急な通路を下って地下の部屋を見ます。注1にあるとおり、閉鎖されていれば別の場所に変わります。

パノラマポイントは、ギザの9基のピラミッドが一度に見渡せる砂漠の丘です(この予習帳の最初の写真)。3つの大きなピラミッドのうち、真ん中のカフラー王のピラミッドがいちばん高く見えますが、実際に高いのはクフ王のほう。カフラー王のピラミッドは少し高い地面に建っているのです。カフラー王のピラミッドの頂上には、白い化粧石が今も少しだけ残っています。

◎スフィンクスと、貸切足元の特別エリア

スフィンクスと、奥のメンカウラー王のピラミッド
スフィンクスと、奥のメンカウラー王のピラミッド。写真:Hesham Ebaid(CC0)

スフィンクスは、全長約73m、高さ約20m。台地の岩山をそのまま彫り残して造った像です。顔はカフラー王を表しているとされます。体をよく見ると、横じまの層ごとに削れ方が違うのがわかります。やわらかい層ほど風化が早く、深くえぐれているのです。

スフィンクスの前足のあいだに立つ「夢の碑文」
スフィンクスの前足のあいだに立つ「夢の碑文」。写真:Chanel Wheeler(CC BY-SA 2.0)

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  • 夢の碑文:前足のあいだに立つ石碑。トトメス4世(前1400年ごろ)が、王子だったころの夢を刻ませたものです。砂に首まで埋もれたスフィンクスが夢に現れ、「砂を取り除いてくれたら王にしよう」と告げたといいます。スフィンクスはそのとき、すでに1,100年前の遺跡でした。
  • 鼻:なくなった鼻は、「ナポレオンの軍が大砲で撃った」という話が有名ですが、これは俗説です。15世紀の歴史家マクリーズィーが、14世紀に削られたと書き残しています。
  • 体の層:特別エリアからは、体の横じまの風化を間近で見られます。

●大エジプト博物館(約3時間)

2025年11月1日に正式に開館した、一つの文明を扱う博物館としては世界最大級の博物館です。10万点を超える文化財を収め、ピラミッドから約2kmの場所に建っています。建設には日本が円借款で842億円を貸し付け、文化財の保存や修復にもJICA(国際協力機構)を中心に日本の専門家が協力しました。

大ホールに立つラムセス2世の巨像(高さ約11m)
大ホールに立つラムセス2世の巨像(高さ約11m)。1955年からカイロ駅前の広場に立っていた像を、ここへ移した。写真:Richard Mortel(CC BY 2.0)
入口の広場の「吊り下げオベリスク」
入口の広場の「吊り下げオベリスク」。下にもぐると、底に刻まれたラムセス2世の名前を見上げられる。写真:Slyronit(CC BY-SA 4.0)
大階段
大階段。両側に王や神々の像が並び、上りきると窓の向こうにピラミッドが見える。写真:Richard Mortel(CC BY 2.0)

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  • ツタンカーメンの展示:墓から見つかった5,000点を超える品が、初めて一か所にそろいました。黄金のマスク、玉座、戦車、寝台など。1/9に王墓そのものを見る前に、中身を先に見ることになります。
  • 大階段:王や神々の大きな像が、階段に沿ってずらりと並んでいます。上りきった窓からピラミッドを見て、午前に歩いた場所を確かめてください。
  • クフ王の船:ピラミッドの脇に埋められていた、全長約43mのレバノン杉の船。約4,500年前のものです。もう1隻の船は、日本の研究チームが長年かけて発掘・復元を進めてきました。
  • アクエンアテンの頭部:細長い顔と厚い唇。それまでの王の像とまったく違う表現は、彼の改革の時代だけのものです。
クフ王の船
クフ王の船。ばらばらの部材で見つかり、組み立て直された。写真:Matthäus Wander(CC0)

3時間の使い方

ツタンカーメンの展示だけで2時間かかると言われます。ガイドの案内のあとに自由時間があれば、見たいものを2つか3つに絞っておくと満足度が上がります。おすすめは、ツタンカーメンの部屋、大階段、クフ王の船の順です。

ガイドさんに聞いてみる

  • ピラミッドの石は、台地のどのあたりで切り出されたのですか?
  • ツタンカーメンの財宝で、いちばん好きなものは何ですか?

3日目 1月5日(火)

アスワン・ハイダムと、砂漠の果ての神殿

早朝の便でアスワンへ飛び、南へ280kmの砂漠を走ってアブシンベルへ向かいます。この日は、20世紀の大事業の日です。巨大なダムが国を変え、そのダムのために、3,200年前の神殿が丸ごと引っ越しました。

◎アスワン・ハイダム

宇宙から見たアスワン・ハイダム(中央の白い線)
宇宙から見たアスワン・ハイダム(中央の白い線)。下がナセル湖、上がアスワンの町とナイル。写真:NASA(パブリックドメイン)

1960年から1970年にかけて、ソ連の協力で造られたダムです。高さ111m、長さ約3.8km。せき止められた水は、長さ約500kmのナセル湖になりました。世界でも最大級の人造湖です。

ダムができて、毎年の洪水は止まりました。1年中畑に水を引けるようになり、発電もできるようになりました。そのいっぽうで、肥えた泥が畑に届かなくなって化学肥料が必要になり、湖に沈む土地に住んでいたヌビアの人々、約10万人が移住を強いられました。

つながる話

はじめ、ダムの建設にはアメリカとイギリスが資金を出す予定でした。1956年に両国が支援を取りやめると、ナセル大統領はスエズ運河を国有化し、その収入で建設を進めると宣言します。これがイギリス・フランス・イスラエルとの戦争(スエズ動乱)につながりました。ひとつのダムが、世界の歴史を大きく動かしたのです。

砂漠の道 280km

アブシンベルまでは、ほとんどまっすぐな砂漠の道を約3時間30分走ります。途中のトイレ休憩は1回です。晴れた日には、遠くの地面が水たまりのように光る蜃気楼が見えることがあります。道の東側には、見えないところにナセル湖が広がっています。

アブシンベル神殿(湖から見る・夜のショー)

アブシンベルの大神殿(左)と小神殿(右)
アブシンベルの大神殿(左)と小神殿(右)。どちらも岩山を掘って造られた。写真:youssef_alam(CC BY 3.0)

ラムセス2世が前13世紀に造らせた2つの神殿です。大神殿は王自身と神々のために、小神殿は王妃ネフェルタリと女神ハトホルのために掘られました。ここはエジプトの南に広がるヌビアの地です。南から来る人々に、エジプトの王の力を見せつける場所でもあったのです。

神殿は長いあいだ砂に埋もれ、1813年にスイスの旅行家ブルクハルトが再発見しました。午後は湖の遊覧ボートから、夜は音と光のショーで、この神殿を眺めます。

夜の「音と光のショー」で照らされる大神殿
夜の「音と光のショー」で照らされる大神殿。写真:Roland Unger(CC BY-SA 4.0)

神殿の大引っ越し(1964〜68年)

ハイダムが完成すると、アブシンベル神殿は湖の底に沈むことになりました。そこでユネスコが世界に呼びかけ、神殿を丸ごと移すことになります。岩山の神殿を1,000個以上のブロックに切り分け、1個平均約20トンの石をクレーンで吊り上げて、約65m上、約200m奥の丘の上で組み直しました。背後の山は、コンクリートのドームの上に岩を積み上げた人工の山です。

移設工事中の大神殿の正面(1960年代)
移設工事中の大神殿の正面(1960年代)。巨像の顔も切り分けて運んだ。写真:UNESCO(CC BY-SA 3.0 igo)
内部の柱を切り離して吊り上げているところ
内部の柱を切り離して吊り上げているところ。写真:UNESCO(CC BY-SA 3.0 igo)
約65m上へ・約200m奥へ1964〜68年に移設人工の山中はコンクリートのドーム移設後の神殿(東向き)元の位置今は湖の底ナセル湖岩を1,000個以上のブロックに切り分け、丘の上で組み直した(1個平均 約20トン)東 →
移設の模式図(高さと奥行きの比率は実際とは違います)。元の位置は、今は湖の底です。

つながる話

このとき世界中から集まった寄付と技術の協力が、のちの「世界遺産」の考え方の出発点になりました。1972年、ユネスコで世界遺産条約が採択されます。今回の旅で訪ねるフィラエ島の神殿も、同じ運動で救われた遺跡です。

ガイドさんに聞いてみる

  • 切り分けたブロックの継ぎ目は、どこで見られますか?
  • 移設で、朝日が差し込む日はずれたのですか?

4日目 1月6日(水)

朝日の神殿と、ナイルの帆船

夜明け前に起きて、開場前のアブシンベル神殿に入ります。神殿は東を向いているので、朝日が昇ると正面の巨像が赤く染まります。そのあとアスワンに戻り、いよいよナイルの船に乗り込みます。

1月の朝日について

1/6の日の出は6:34ごろ、神殿の一般の開場は6:00です。パンフレットの注7のとおり、日の出が開場より後になる時期は、朝日の時間には一般の見学者も入っている可能性があります。開場前の貸切は、日の出前の薄明かりの時間になる可能性があります。くわしくは添乗員に確認してください。

●大神殿の中へ

入口から奥の壁まで 約60m大列柱室オシリス姿の王の柱8本第2の間前室至聖所光が当たる3体プタハ(闇に残る)朝日(2月・10月の22日ごろ)西(岩山の奥)北
大神殿の平面(模式図)。入口から至聖所まで、部屋がまっすぐ一列に並んでいます。

大神殿は、岩山の奥へ約60mまっすぐに掘られています。いちばん奥の至聖所には、4体の神像が並んで座っています。向かって左から、プタハ、アメン・ラー、神になったラムセス2世、ラー・ホルアクティ。年に2回、2月22日と10月22日ごろの朝、日の光が入口からまっすぐ奥まで届いて、右の3体を照らします。冥界とつながる神プタハだけは、光が当たらずに闇に残ります。

入口から奥を見る
入口から奥を見る。いちばん奥の明るい部屋が至聖所。写真:Diego Delso(CC BY-SA 4.0)
至聖所の4体の神像
至聖所の4体の神像。左からプタハ、アメン・ラー、ラムセス2世、ラー・ホルアクティ。写真:Diego Delso(CC BY-SA 4.0)

ここを見る

  • 入口の上のくぼみ:ハヤブサの頭の太陽神ラー・ホルアクティの像が、片側に杖𓌀(ウセル=力)、もう片側に女神マアトを持っています。読むと「ウセル・マアト・ラー」。ラムセス2世の即位名です。神殿の正面そのものが、王の名前の判じ絵になっているのです。
  • 巨像:高さ約20m。左から2番目の像は、完成してまもなく起きた地震で崩れ、上半身が足元に落ちたままです。移設のときも、崩れた姿のまま組み直されました。
  • 巨像の足元:台座の側面には、縛られた捕虜の列が刻まれています。片側は南のヌビアの人々、もう片側は北のアジアの人々。南北の敵を足元に従える王を表しています。
  • 大列柱室:オシリスの姿をした王の像の柱が8本並びます。北側の壁いっぱいに、ヒッタイトとのカデシュの戦い(前1274年ごろ)が描かれています。
カデシュの戦いの浮き彫り
カデシュの戦いの浮き彫り。戦車に乗って弓を引くラムセス2世。写真:Diego Delso(CC BY-SA 4.0)
巨像の台座に刻まれた、縛られたヌビアの捕虜たち
巨像の台座に刻まれた、縛られたヌビアの捕虜たち。写真:Aidan McRae Thomson(CC BY-SA 2.0)

話のタネ

壁の浮き彫りでは、ラムセス2世がたった一人で敵を打ち破ったように描かれています。けれども実際の戦いは引き分けに近いものでした。その後、エジプトとヒッタイトは前1259年ごろに平和条約を結びます。記録に残る中で最も古い平和条約のひとつで、その複製はニューヨークの国連本部に飾られています。

首を守る見方

巨像は高さ20mあります。真下から見上げるより、少し下がって全体を見るほうが首は楽です。高いところの細部は、スマホを上に向けて撮り、画面を拡大して見るのもおすすめです。

●小神殿(ネフェルタリとハトホルの神殿)

小神殿の正面
小神殿の正面。立っている6体の像のうち、4体がラムセス2世、2体が王妃ネフェルタリ。写真:Diego Delso(CC BY-SA 4.0)

正面に並ぶ高さ約10mの6体の像は、王が4体、王妃が2体。王妃が王と同じ大きさで表されるのは、とても珍しいことです。王妃の像の足元には子どもたちの小さな像が寄り添っています。中に入ると、柱の上にハトホル女神の顔が彫られています。

アスワンとファルーカ(夕方)

ナイルを走るファルーカ
ナイルを走るファルーカ。エンジンを持たない帆船。写真:Marc Ryckaert(CC BY 3.0)
アスワンのナイルと、オールド・カタラクト・ホテル(中央奥)
アスワンのナイルと、オールド・カタラクト・ホテル(中央奥)。写真:Marc Ryckaert(CC BY 3.0)

アスワンは、ナイルの流れに岩が多くなる「第1急流」のすぐ下にある町で、古代エジプトの南の国境でした。川の中のエレファンティネ島には、古代の町と、ここにもナイロメーターがあります。西岸の丘の上には、古い時代の貴族の墓がならびます。

ファルーカは、三角の大きな帆を1枚だけ張る、エンジンのない船です。北風を受けて南へ進み、北へ戻るときは流れに乗ったり、風に対してジグザグに進んだりします。第1章で読んだ「北へは流れ、南へは帆」が、そのまま体験できます。日の入りは17:15ごろ。川の上は思った以上に冷えるので、上着を。

話のタネ

川辺に建つオールド・カタラクト・ホテルには、作家アガサ・クリスティーが滞在しました。ナイル川の観光船を舞台にしたミステリー『ナイルに死す』には、このホテルも登場します。クルーズの前に読んでおくと、船旅がひと味違って見えます。

クルーズ船に乗る

ナイル川のクルーズ船の例(今回の船ではありません)
ナイル川のクルーズ船の例(今回の船ではありません)。写真:Ägypten Kulturreisen(CC0)

ここから3泊、同じ船で暮らします。部屋の窓はナイル側。船はおもに夜から朝にかけて移動し、目が覚めると次の町に着いています。船内では、ヒエログリフや地元の暮らしについてのミニレクチャー、ベリーダンスのショー、ガラベイヤ・パーティーが開かれます。

ガラベイヤは、エジプトの男女が着るゆったりした長い服です。パーティーの日に合わせて、アスワンの店や船の売店で買っておくと楽しめます。パーティーの日時は船内の案内で確認してください。

5日目 1月7日(木)

イシスの島と、ワニとハヤブサの神殿

午前はボートでフィラエ島へ渡り、女神イシスの神殿を訪ねます。午後は船でコムオンボへ。どちらもプトレマイオス朝の神殿で、オシリス神話の舞台です。この日は、コプト正教会(エジプトのキリスト教)のクリスマスでもあります。

●フィラエ島のイシス神殿

ナイルに浮かぶフィラエ島(アギルキア島)とイシス神殿
ナイルに浮かぶフィラエ島(アギルキア島)とイシス神殿。島ごと移された神殿です。写真:Holger Uwe Schmitt(CC BY-SA 4.0)

イシス神殿は、エジプトでイシス信仰がいちばんさかんだった聖地です。おもな建物はプトレマイオス朝からローマ時代のもので、エジプトの神殿の中でも最後まで古い神々への祈りが続いた場所でした。

1902年に旧アスワンダムができてから、神殿は1年の大半を水に沈むようになります。さらにハイダムで完全に水没するおそれが出たため、1972年から1980年にかけて、隣のアギルキア島へ移されました。新しい島は、元の島の形に似せて削り直されています。

トラヤヌスのキオスク
トラヤヌスのキオスク。ローマ皇帝の名で建てられた、屋根のない東屋のような建物。写真:Marc Ryckaert(CC BY 3.0)

ここを見る

  • 塔門の浮き彫り:王が敵を打ち据え、神々に供え物をささげる場面。描かれているのはギリシャ系の王ですが、姿は昔ながらのファラオそのものです。
  • 十字架とキリスト教の跡:6世紀にキリスト教の教会として使われ、壁に十字架が刻まれ、神々の顔が削られました。
  • ナポレオン軍の刻文:1799年にここまで来たフランス軍が、壁にフランス語の刻文を残しています。
  • 最後のヒエログリフ:394年に刻まれた、ヒエログリフの最後の碑文がこの神殿にあります。第5章の「解読の物語」は、この島で始まり、この島で終わります。

名産品の香水瓶の店では、吹きガラスの細い瓶と、花の香りのオイルが並びます。買うつもりがなければ、見るだけでも大丈夫です。

●コムオンボ神殿と、●ワニの博物館

コムオンボ神殿の正面
コムオンボ神殿の正面。入口が左右に2つある。写真:Olaf Tausch(CC BY 3.0)

ナイルの曲がり角の小高い丘に建つ神殿です。プトレマイオス6世(前2世紀)が建て始め、その後の王たちが増築しました。この神殿は「二重神殿」と呼ばれます。北側の半分がハヤブサの神ハロエリス(大ホルス)、南側の半分がワニの神ソベクのためにあり、入口も通路も至聖所も、2つずつ左右対称に並んでいるのです。

ハロエリス(大ホルス)ソベク(ワニの神)入口ナイル通路と至聖所が左右対称に2組北
二重神殿の模式図。1つの建物の中に、2つの神殿が横に並んで入っている。
ソベク(ワニの頭)とハトホルの前に立つプトレマイオス朝の王
ソベク(ワニの頭)とハトホルの前に立つプトレマイオス朝の王。写真:Aidan McRae Thomson(CC BY-SA 2.0)
「医療器具」と言われる道具が並ぶ浮き彫り
「医療器具」と言われる道具が並ぶ浮き彫り。はさみ、のこぎり、薬の容器のような形が見える。写真:Ad Meskens(CC BY-SA 3.0)

ここを見る

  • 2つの入口:正面で、通路が2本並んで奥へ続く様子を確かめてください。
  • 医療器具の浮き彫り:神殿の奥の外側の通路にあります。手術の道具か、儀式の道具か、研究者の見方は分かれています。
  • 暦の浮き彫り:日付と祭りを並べた、カレンダーのような壁もあります。
  • ナイロメーター:第1章で見た井戸の形の水位計です。
  • ワニの博物館:近くで見つかった約300体のワニのミイラのうち、一部が展示されています。神の使いとして大切にされ、亡くなるとミイラにされました。

6日目 1月8日(金)

ホルスの神殿、水門、そして夕暮れのルクソール

朝は馬車に乗ってエドフのホルス神殿へ。昼は船でエスナの水門を通り、夕方にルクソールへ着きます。夕日のあと、ライトアップされたルクソール神殿を歩きます。金曜日はイスラームの礼拝の日で、エジプトの休日です。

●エドフのホルス神殿

ホルス神殿の塔門
ホルス神殿の塔門。高さ約36m。写真:Patrick.reb(CC BY-SA 3.0)

前237年から前57年まで、約180年かけて建てられたプトレマイオス朝の神殿です。エジプトで最も保存状態のよい神殿と言われます。長いあいだ砂に埋もれ、上に村の家が建っていたことが、かえって神殿を守りました。19世紀にフランスの考古学者マリエットが掘り出しています。

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  • 塔門:両側の壁いっぱいに、王が敵を打ち据える巨大な浮き彫り。塔門は、日の出の地平線を表すとも言われます。
  • ハヤブサの像:中庭の入口に、黒い花崗岩のホルスの像が立っています(第4章の写真)。
  • 天井の黒いすす:多柱室の天井が黒いのは、神殿が使われなくなったあと、中で人が火をたいた跡です。
  • 至聖所の黒い祠:いちばん奥にある石の祠は、神殿そのものより古い前4世紀のもの。古い祠を中心に、まわりに新しい神殿を建てたのです。
  • ホルスとセトの戦い:外周の通路の壁に、ホルスがカバの姿のセトにもりを打ち込む物語が刻まれています。オシリス神話のクライマックスです。

船着き場から神殿までは馬車で行きます。御者からチップを求められることがあります。添乗員の指示に従ってください。

エスナの水門

エスナには、ナイルをせき止める堰があり、そこを船が通るための水門があります。水位の差は約6m。エドフからルクソールへは川下りなので、船は水門の中で約6m下がります。大きな船がエレベーターのように沈んでいく様子は、船の甲板から見ると迫力があります。

① 上流側の門が開き、船が水門に入る差 約6m上流(南)下流(北)② 門を閉め、水を抜いて約6m下がる③ 下流側の門が開き、ルクソールへ進む
水門のしくみ。前後の門を閉めた箱の中で水位を変えて、高さの違う川を船が行き来する。

水門の前では、小舟の物売りが船に近づき、ビニール袋に入れたテーブルクロスやガラベイヤを甲板まで投げ上げて値段交渉をすることで知られています。買わないものは投げ返して大丈夫です。エスナの町には雄羊の神クヌムの神殿があり、近年の清掃で天井の鮮やかな色がよみがえりました(今回は寄りません)。

◎スフィンクス参道と、●ルクソール神殿(夕方〜夜)

スフィンクス参道
スフィンクス参道。カルナック神殿とルクソール神殿を結ぶ約2.7kmの道。写真:Holger Uwe Schmitt(CC BY-SA 4.0)

ルクソール神殿とカルナック神殿は、両側にスフィンクスが並ぶ約2.7kmの参道で結ばれていました。年に一度の「オペト祭」では、カルナックの神々の像が舟に乗せられ、この道とナイルを通ってルクソール神殿へ運ばれました。参道は長く町の下に埋もれていましたが、発掘と整備が終わり、2021年11月に盛大なパレードとともに再び公開されました。

夕暮れのルクソール神殿
夕暮れのルクソール神殿。塔門の前にオベリスクが1本、ラムセス2世の座像が2体。写真:Holger Uwe Schmitt(CC BY-SA 4.0)

ルクソール神殿は、おもにアメンホテプ3世とラムセス2世が建てました。エジプトの神殿は、奥の至聖所を中心に、前へ前へと増築されていくものです。入口からの順番を時代とあわせて見ると、神殿の育ち方がわかります。

  1. 第1塔門とオベリスクラムセス2世(前13世紀)
  2. ラムセス2世の中庭上に中世のモスク
  3. 大列柱廊アメンホテプ3世(前14世紀)
  4. アメンホテプ3世の中庭パピルスの束の形の柱
  5. ローマ時代の壁画の部屋3〜4世紀ごろ
  6. アレクサンドロス大王の祠前4世紀
  7. 至聖所アメンホテプ3世

色は時代を表します。青=新王国、緑=アレクサンドロスとプトレマイオス朝、黄=ローマ。入口の側ほど後から足された部分です(奥の祠と壁画の部屋は、古い部屋の中に後から作られました)。

パリのコンコルド広場に立つオベリスク
パリのコンコルド広場に立つオベリスク。もとはルクソール神殿の入口に2本並んでいたうちの1本。写真:Jebulon(CC0)

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  • オベリスクが1本しかない:もう1本は、19世紀にエジプトからフランスへ贈られ、1836年からパリのコンコルド広場に立っています。
  • モスクの扉の高さ:第2章で見た、高い位置にあるアブー・ハッガーグ・モスクの扉。神殿が埋もれていたころの地面の高さです。
  • ローマ時代の壁画:古代エジプトの浮き彫りの上に、ローマ皇帝たちの姿が漆喰で描かれています。修復で色がよみがえりました。
  • 夕日からライトアップへ:日の入りは17:14ごろ。石の色が金色から青い影へ変わり、明かりが灯るまでの30分ほどが見ものです。

帰りにスーパーに寄ります。ハイビスカスのお茶カルカデ、スパイス、デーツ(ナツメヤシの実)などを、おみやげ店より手ごろな値段で買えます。夜はオプション(別料金)で、カルナック神殿の音と光のショーと、ルクソール博物館に行けます。

  • カルナック神殿の音と光のショー:夜の神殿を光に照らされながら歩き、最後は聖なる池のほとりの席で、神殿の歴史の語りを聞きます。冬は18:30、19:45、21:00ごろの回があります。翌日の昼に同じ神殿を歩くので、夜と昼の両方を見比べられます。
  • ルクソール博物館:冬は夜9時まで開いている小さな博物館で、展示はすべてルクソール周辺で見つかったものです。新王国を開いた王イアフメス1世のミイラ、ラムセス1世と考えられているミイラ、1989年にルクソール神殿の中庭の地下から見つかった像の一群(高さ2.45mのアメンホテプ3世像など)、アクエンアテンがカルナックに建てた神殿の小さな石を組み直した壁が見どころです。

7日目 1月9日(土)

死者の町と、神々の王の神殿

船を降りて、午前は西岸の「死者の町」へ。王家の谷で2つの王墓に入り、女王の葬祭殿を訪ねます。午後は東岸に戻って、エジプト最大の神殿カルナックへ。夜の便で帰国の途につく、旅でいちばん長い日です。

○車窓から:黄金都市、貴族の墓、ラムセウム

上空から見たラムセウム(ラムセス2世の葬祭殿)
上空から見たラムセウム(ラムセス2世の葬祭殿)。まわりには、れんがの倉庫の跡が格子のように残る。写真:Steve F-E-Cameron(CC BY 3.0)

パンフレットでは3か所とも「○(車窓)」です。バスの窓から見ることになります。

  • 黄金都市:2021年に発表された、アメンホテプ3世の時代の町の跡です。「ツタンカーメン王墓以来の大発見」として話題になりました。
  • 貴族の墓:西岸の丘に、王に仕えた役人たちの墓が数百も掘られています。暮らしの場面が生き生きと描かれていることで知られます。
  • ラムセウム:ラムセス2世の葬祭殿。ここに倒れていた巨像と、ここから運び出された像の頭部(第3章の写真)が、イギリスの詩人シェリーの詩「オジマンディアス」(1818年)のもとになったと言われます。「我が業を見よ、強大なる者よ、そして絶望せよ」と刻まれた台座のまわりに、砂だけが広がっている、という詩です。

●王家の谷(貸切ツタンカーメン王墓、セティ1世の墓)

王家の谷
王家の谷。岩山の谷の底に、墓の入口が点々と並ぶ。写真:Peter J. Bubenik(CC BY-SA 2.0)

新王国の王たちは、ピラミッドを造るのをやめ、この谷の岩盤の中に墓を掘りました。目立つピラミッドは、盗掘の目印にもなってしまったからです。谷の上にそびえる山「エル・クルン」は、自然のピラミッドのような形をしています。王たちは、この山をピラミッドの代わりにしたとも言われます。谷には60以上の墓が見つかっています。

ツタンカーメン王墓(KV62)玄室(ミイラは今もここに)前室(財宝がぎっしり詰まっていた)階段と通路セティ1世の墓(KV17)柱の間玄室(星空の天井)全長 約137m20m
ツタンカーメン王墓とセティ1世の墓を、同じ縮尺で比べた模式図。部屋の配置はおおよそです。

ツタンカーメン王墓は、王の墓としてはとても小さく、部屋は4つだけです。若くして急に亡くなったため、本来は別の人のために掘っていた墓を急いで使ったという説があります。小さく目立たなかったことと、後の時代の墓の工事で入口が埋もれたことが、3,000年以上盗掘から守ったのかもしれません。

ツタンカーメン王墓の玄室
ツタンカーメン王墓の玄室。壁には12匹のヒヒ(夜の12時間を表す)が描かれ、手前に石棺がある。写真:EditorfromMars(CC BY-SA 4.0)

ツタンカーメン王墓で見る

  • 王のミイラ:王のミイラは今も墓の中にあり、温度と湿度を保つガラスのケースに安置されています。
  • 北の壁:後を継いだアイが、王のミイラに「口開けの儀式」をする場面。王が来世で食べ、話せるようにする儀式です。
  • 西の壁:12匹のヒヒ。太陽が夜の冥界を旅する12時間を表しています。
  • 前室:1922年11月、カーターがこの部屋をのぞきこみ、「すばらしいものが見える」と答えた場所です。大エジプト博物館で見た財宝が、ぎっしり詰まっていました。
セティ1世の墓の通路
セティ1世の墓の通路。壁の浮き彫りの色が、3,300年たった今も鮮やかに残る。写真:Carole Raddato(CC BY-SA 2.0)

セティ1世の墓で見る

  • 長さ約137m:王家の谷でいちばん長い墓です。1817年にイタリア人のベルツォーニが見つけました。
  • 浮き彫りの細かさ:谷でいちばん美しいと言われる墓です。個人で入るには、一般の入場券の約3倍の特別券が必要な墓で、それがツアーに含まれています。
  • 玄室の天井:天井いっぱいに星座と星の神々が描かれた天文図があります。この予習帳の見出しの星空は、こうした天井にならったものです。
  • 空の玄室:雪花石膏(アラバスター)の美しい石棺は、今はロンドンのサー・ジョン・ソーン博物館にあります。
セティ1世の墓の玄室の天井
セティ1世の墓の玄室の天井。星座と神々が並ぶ天文図。写真:Carole Raddato(CC BY-SA 2.0)

撮影と見上げ方

墓の中の撮影のルールは墓ごとに違い、撮影券が必要な墓や、撮影できない墓があります。フラッシュはどこでも禁止です。入る前に添乗員に確認しましょう。天井の天文図は、真上を見上げ続けると首が疲れます。少しずつ場所を変えて見るか、スマホで撮って画面で見ると楽です。

●ハワード・カーター・ハウス

カーターが1910年に建て、ツタンカーメン王墓を発掘していた時期に暮らした家です。今は小さな博物館になっていて、机や写真の暗室、発掘の道具が当時のまま残っています。近くには、ツタンカーメン王墓を精密に複製した展示もあります(今回入るかは現地で確認)。王墓を見た直後に、それを見つけた人の机を見る順番になっています。

●ハトシェプスト女王葬祭殿

上空から見たハトシェプスト女王葬祭殿
上空から見たハトシェプスト女王葬祭殿。背後の崖の向こう側が王家の谷。写真:Diego Delso(CC BY-SA 4.0)

崖のふもとに、3段のテラスを重ねた葬祭殿です。設計したのは女王の側近センエンムトとされます。背後の切り立った崖と、横に長い柱廊の組み合わせは、3,500年前のものとは思えないほど現代的に見えます。

遠い国プントへの交易遠征の浮き彫り
遠い国プントへの交易遠征の浮き彫り。乳香の木を鉢ごと船に運んでいる。写真:Ismoon(CC BY-SA 4.0)

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  • プント遠征の浮き彫り:中段の柱廊に、紅海の南の国プントへの船旅が描かれています。持ち帰った乳香の木、ヒヒ、高床の家など、異国の風景です。
  • ハトホルとアヌビスの礼拝堂:柱にハトホルの顔が彫られた礼拝堂と、色がよく残るアヌビスの礼拝堂があります。
  • 削られた女王:あちこちで、女王の姿や名前が削り取られています。女王の死後、トトメス3世の治世の後半に行われたと考えられています。

◎メムノンの巨像

畑の中に座る2体の巨像(高さ約18m、第3章の写真)は、アメンホテプ3世の像です。うしろには巨大な葬祭殿がありましたが、ほとんど失われ、今も発掘が続いています。前27年の地震でひびが入ったあと、北側の像は明け方になると音を出すようになり、ギリシャ神話の英雄メムノンが母に呼びかける声だとして評判になりました。ローマ皇帝も聞きに来たほどです。2世紀の終わりごろに修理されると、像は二度と「歌わなく」なりました。

●カルナック神殿

大列柱室
大列柱室。134本の柱が林のように立つ。写真:Tsyganov Sergey(CC0)
柱を見上げる
柱を見上げる。表面に神々と王の姿、ヒエログリフがびっしり刻まれている。写真:Tim Adams(CC BY 3.0)

神々の王アメンの神殿を中心とする、エジプト最大の神殿群です。約2,000年にわたって、30人以上の王が増築を続けました。そのため、奥へ進むほど古い時代にさかのぼっていく構造になっています。

  1. 第1塔門前4世紀。未完成のまま
  2. 大中庭前10世紀ごろ
  3. 第2塔門前14世紀の終わり
  4. 大列柱室セティ1世とラムセス2世(前13世紀)
  5. 第3塔門アメンホテプ3世(前14世紀)
  6. 第4・第5塔門とハトシェプストのオベリスク前15世紀
  7. 第6塔門トトメス3世(前15世紀)
  8. 中王国の中庭前20世紀ごろ。いちばん古い中心部

色は時代を表します。灰=新王国より後、青=新王国、砂色=中王国。いちばん古い中心部のさらに奥には、トトメス3世の祝祭殿もあります。

ハトシェプスト女王のオベリスク
ハトシェプスト女王のオベリスク。高さ約30mで、エジプトに立っているオベリスクの中でいちばん高い。写真:Jorge Láscar(CC BY 2.0)

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  • 大列柱室:134本の柱のうち、中央の12本は高さ約21m。柱の上の大きな花のような柱頭は、開いたパピルスを表しています。中央の通路の両側の柱が高いのは、その差の部分に窓を設けて光を取り入れるためでした。
  • ハトシェプストのオベリスク:1本の花崗岩から切り出した、高さ約30mの柱。のちにトトメス3世が、まわりを壁で囲んで見えなくしたため、かえって削られずに残りました。
  • 聖なる池:神官が身を清めた人工の池。そばには、まわりを回ると願いがかなうと言われるスカラベの像があります。

首を守る見方

大列柱室は、見上げたくなる場所の連続です。柱の根元から少し離れて、柱と柱のあいだの空を見るように視線を上げると、首を大きく反らさずに高さを感じられます。

ガイドさんに聞いてみる

  • この柱の浮き彫りに描かれているのは、どの王ですか?
  • 色が残っている場所は、どこにありますか?

夕方、空港へ向かいます。余ったエジプト・ポンドは、空港の店で使い切っておきましょう。

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食べる・買う

献立に出てくる料理の名前と、おみやげの見分け方。

ツアーの献立を読む

日料理どんな料理か
1/4 昼コフタスパイスを混ぜたひき肉を棒の形にして焼いたもの。チキンと一緒に出る。
1/4 夕シシタウークヨーグルトやにんにく、レモンに漬けた鶏肉の串焼き。
1/4 夕コシャリご飯、マカロニ、レンズ豆、ひよこ豆にトマトソースと揚げた玉ねぎをのせ、酢のソースをかけて混ぜて食べる。エジプトの国民食。
1/5 昼ムサカエジプトのムサカは、なすとひき肉のトマト煮込み。ギリシャのもののようなホワイトソースは使わないことが多い。
1/5 昼魚のタジン土鍋で魚や野菜を煮込んだ料理。
1/9 昼モロヘイヤスープ刻んだモロヘイヤをにんにくと合わせて煮た、とろみのある家庭料理。パンやご飯にかけて食べる。
1/9 夕和食弁当帰りの飛行機に乗る前の夕食。
コシャリ
コシャリ。好みで辛いソースや酢をかける。写真:Dina Said(CC BY-SA 4.0)
モロヘイヤのスープ
モロヘイヤのスープ。日本で「王様の野菜」と呼ばれるのは、病気の王がこれで治ったという言い伝えから。写真:Habib M'henni(CC BY-SA 3.0)

せっかくなら

おなかを守る

  • 水道水は飲みません。2〜7日目は、ツアーで1日1本の水が配られます。
  • 氷、生野菜、皮をむいていない果物、屋台の生ジュースは、店を選びます。迷ったら火を通したものを。
  • 整腸剤と除菌シートを持って行き、食べる前に手をきれいにします。

おみやげの見分け方

パピルスに筆で書かれた古代の文字
パピルスに筆で書かれた古代の文字。ヒエログリフを崩した書体(ヒエラティック)で、紙の繊維の筋も見える。写真:作者不明(パブリックドメイン)

値段の交渉

  • ツアーでは、最大4か所の名産品店に立ち寄ります。買う義務はありません。
  • 言い値は出発点です。ほしい値段を先に決めておき、2人で相談する時間をもらいましょう。
  • 買わないときは、笑顔で「ラー・シュクラン(いりません、ありがとう)」。
  • カードで払うと、現金より値引きが小さくなることがあります。
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言葉と数字

ひと言のアラビア語と、値札の数字の読み方。

エジプトの言葉は、アラビア語のエジプト方言です。観光地では英語も通じますが、ひと言でもアラビア語で話しかけると、相手の顔がぱっと明るくなります。

意味言い方使う場面
こんにちはアッサラーム・アレイクムどんな相手にも使える丁寧なあいさつ。返事は「ワ・アレイクム・ッサラーム」
やあ/ようこそアハラン軽いあいさつ。「アハラン・ワ・サハラン」なら「ようこそ」
おはようサバーフ・エル・ヘール返事は「サバーフ・エン・ヌール」
こんばんはマサー・エル・ヘール夕方から
ありがとうシュクラン「シュクラン・ギッダン」で「どうもありがとう」
どういたしましてアフワンお礼を言われたとき
いりませんラー・シュクラン物売りや客引きを断るとき
はい/いいえアイワ/ラー
いくら?ビカーム?買い物で
高すぎる!ガーリー・アウィ値段交渉で、笑いながら
OK/いいねタマームエジプトでとてもよく使う言葉
問題ないマフィーシュ・ムシュケラ「大丈夫」の意味で
すみませんラウ・サマハト呼びかけるとき(女性には「ラウ・サマハティ」)
トイレはどこ?フェーン・エル・ハンマーム?
水マイヤ
いいね・きれい・おいしいヘルウ料理や景色をほめるとき
日本から来ましたアナ・ミン・エル・ヤーバーンどこから来たか聞かれたとき
ゆっくりショワイヤ・ショワイヤ「少しずつ」の意味も
神が望めばインシャアッラーこれからの予定の話に添える言葉。「たぶん」くらいの意味で使われることも
さようならマア・ッサラーマ別れるとき

値札の数字を読む

エジプトの値札、バスの番号、紙幣には、私たちの数字とは違う「東アラビア数字」が使われていることがあります。文字は右から左に書きますが、数字は私たちと同じく左から右へ読みます。

٠0
١1
٢2
٣3
٤4
٥5
٦6
٧7
٨8
٩9

数字を3つの書き方に変える

値札の書き方
١٥٠
古代エジプトの数字
𓍢𓎆𓎆𓎆𓎆𓎆
円にすると
約450円

1ポンド ≒ 3円は2026年秋の目安です(1ドル ≒ 50ポンド、1ドル ≒ 150円)。旅行の前に、その時のレートに変えて使ってください。紙幣は5・10・20・50・100・200ポンドなどで、10と20ポンドにはプラスチックの新しい札もあります。

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現地での心得

気持ちよく見て回るための、ちょっとした決まりごと。

写真

服装とふるまい

断り方

トイレと体調

首と腰を守る見方

この旅は、見上げる場所の連続です。アブシンベルの巨像は20m、カルナックの柱は21m、王墓の天井には星空。首や腰に不安がある人は、次の3つを覚えておくと楽になります。

日付のメモ

本と映画で、もう少し

出発までの時間に。

写真の出典

写真はすべてウィキメディア・コモンズで公開されている、自由に使えるライセンスの画像です。サイズを縮小して使っています。図解は、この予習帳のために描いた模式図です。

  1. Pyramids of the Giza Necropolis.jpg — KennyOMG、CC BY-SA 4.0
  2. Nile River and delta from orbit.jpg — NASA(MODIS)、パブリックドメイン
  3. Nilometer in Kom Ombo 0280 b.jpg — JMCC1、CC BY-SA 3.0
  4. Maler der Grabkammer des Sennudem 001.jpg — センネジェム墓の画家、パブリックドメイン
  5. Maler der Grabkammer der Nefertari 001.jpg — ネフェルタリ墓の画家、パブリックドメイン
  6. Abu el-Haggag R01.jpg — Marc Ryckaert、CC BY 3.0
  7. Deir el-Medina-10-Grab 1-Sennedjem-Osiris-1982-gje.jpg — Gerd Eichmann、CC BY-SA 4.0
  8. Kom Ombo, Sobek 0319.JPG — Hedwig Storch、CC BY-SA 3.0
  9. Edfu Horus R01.jpg — Marc Ryckaert、CC BY-SA 4.0
  10. Hieroglyphs from the tomb of Seti I.jpg — 古代エジプトの書記、自由利用可
  11. Birth and Throne cartouches of pharaoh Seti I, from KV17 at the Valley of the Kings, Egypt. Neues Museum.jpg — Osama Shukir Muhammed Amin、CC BY-SA 4.0
  12. Rosetta Stone.JPG — Hans Hillewaert、CC BY-SA 4.0
  13. Kingston Lacy- Egyptian obelisk and House (geograph 1789450).jpg — Eugene Birchall、CC BY-SA 2.0
  14. The Oberoi - Mena House, Egypt.jpg — Paul Mannix、CC BY 2.0
  15. Cairo conference.jpg — FDR図書館所蔵、パブリックドメイン
  16. Great Pyramid of Giza - Pyramid of Khufu.jpg — Douwe C. van der Zee、CC BY-SA 4.0
  17. Giza Great Pyramid of Khufu (9793848546).jpg — Gary Todd、CC0
  18. Sphinx with the third pyramid.jpg — Hesham Ebaid、CC0
  19. Great Sphinx with Stelae.jpg — Chanel Wheeler、CC BY-SA 2.0
  20. Grand Hall (Atrium).jpg — Richard Mortel、CC BY 2.0
  21. Hanging Obelisk outside the Grand Egyptian Museum.jpg — Slyronit、CC BY-SA 4.0
  22. Grand Staircase (GEM).jpg — Richard Mortel、CC BY 2.0
  23. GEM Khufus Boat front 2025.jpg — Matthäus Wander、CC0
  24. BarragemAssuão.jpg — NASA、パブリックドメイン
  25. Ramsis, Aswan Governorate, Egypt - panoramio.jpg — youssef_alam、CC BY 3.0
  26. AbuSimbelTempleR2Light.jpg — Roland Unger、CC BY-SA 4.0
  27. Dismantling of the statues of the Great Temple.jpg — UNESCO、CC BY-SA 3.0 igo
  28. Dismantling of one of the Osiriac pillars of the entrance hall of the Great Temple.jpg — UNESCO、CC BY-SA 3.0 igo
  29. Templo de Ramsés II, Abu Simbel, Egipto, 2022-04-02, DD 29-31 HDR.jpg — Diego Delso、CC BY-SA 4.0
  30. Templo de Ramsés II, Abu Simbel, Egipto, 2022-04-02, DD 26-28 HDR.jpg — Diego Delso、CC BY-SA 4.0
  31. Templo de Ramsés II, Abu Simbel, Egipto, 2022-04-02, DD 74-76 HDR.jpg — Diego Delso、CC BY-SA 4.0
  32. Nubian Prisoners, Abu Simbel.jpg — Aidan McRae Thomson、CC BY-SA 2.0
  33. Templo de Nefertari, Abu Simbel, Egipto, 2022-04-02, DD 153.jpg — Diego Delso、CC BY-SA 4.0
  34. Felucca R02.jpg — Marc Ryckaert、CC BY 3.0
  35. Aswan Old Cataract Hotel R01.jpg — Marc Ryckaert、CC BY 3.0
  36. Tosca Nilkreuzfahrtsschiff zwischen Luxor und Assuan.jpg — Ägypten Kulturreisen、CC0
  37. 1977 bis 1980 wurde die Tempel auf der Insel Philae auf die höher gelegene Insel Agilka versetzt. 01.jpg — Holger Uwe Schmitt、CC BY-SA 4.0
  38. Philae Temple R01.jpg — Marc Ryckaert、CC BY 3.0
  39. Kom Ombo Portal 04.jpg — Olaf Tausch、CC BY 3.0
  40. Ptolemy before Sobek & Hathor, Kom Ombo.jpg — Aidan McRae Thomson、CC BY-SA 2.0
  41. Kom Ombo Temple Surgical instruments detail.JPG — Ad Meskens、CC BY-SA 3.0
  42. Temple Edfou Egypte.jpg — Patrick.reb、CC BY-SA 3.0
  43. 1300 Sphinxen säumten ursprünglich die Allee. 07.jpg — Holger Uwe Schmitt、CC BY-SA 4.0
  44. 1550 bis 1070 v. Chr. ca. wurde der Tempel von Luxor erbaut. 01.jpg — Holger Uwe Schmitt、CC BY-SA 4.0
  45. Obélisque louqsor concorde vertical.jpg — Jebulon、CC0
  46. SFEC AEH -ThebesNecropolis-2010-RamsesII-021.jpg — Steve F-E-Cameron、CC BY 3.0
  47. Luxor, Tal der Könige (1995, 860x605).jpg — Peter J. Bubenik、CC BY-SA 2.0
  48. Inside Pharaoh Tutankhamun's tomb, 18th dynasty.jpg — EditorfromMars、CC BY-SA 4.0
  49. KV17, the tomb of Pharaoh Seti I of the Nineteenth Dynasty, Valley of the Kings, Egypt (49846343021).jpg — Carole Raddato、CC BY-SA 2.0
  50. KV17, the tomb of Pharaoh Seti I of the of the burial chamber, Nineteenth Dynasty, astronomical vaulted ceiling Valley of the Kings, Egypt (49845803483).jpg — Carole Raddato、CC BY-SA 2.0
  51. Templo funerario de Hatshepsut, Luxor, Egipto, 2022-04-03, DD 13.jpg — Diego Delso、CC BY-SA 4.0
  52. Incense trees transport. Punt relief. Mortuary Temple of Hatshepsut, Deir el-Bahari.jpg — Ismoon、CC BY-SA 4.0
  53. Karnak Temple Great Hypostyle Hall 2014.jpg — Tsyganov Sergey、CC0
  54. Columns at Hypostyle hall of Karnak Temple in Luxor Egypt.jpg — Tim Adams、CC BY 3.0
  55. Obelisk of Hatshepsut, the tallest standing in Egypt. Can be identified by its single line of inscriptions (14024043077).jpg — Jorge Láscar、CC BY 2.0
  56. Egyptian food Koshary.jpg — Dina Said、CC BY-SA 4.0
  57. Molokheya Egypt, 2012.JPG — Habib M'henni、CC BY-SA 3.0
  58. Papyrus.jpg — 作者不明、パブリックドメイン
  59. Ivory statuette of Khufu from Abydos, 2551-2528 BCE; Egyptian Museum, Cairo (2).jpg — Mortel、CC BY 2.0
  60. Seated Statue of Hatshepsut MET Hatshepsut2012 (cropped).jpg — メトロポリタン美術館、CC0
  61. Colossi of Memnon May 2015 2.JPG — MusikAnimal、CC BY-SA 4.0
  62. Head of King Akhenaten, ca. 1353-1336 BCE; Grand Egyptian Museum, Grand Staircase.jpg — Richard Mortel、CC BY 2.0
  63. CairoEgMuseumTaaMaskMostlyPhotographed.jpg — Roland Unger、パブリックドメイン
  64. AbydosSetiChapelRelief145.jpg — Roland Unger、CC BY-SA 3.0
  65. Ramses II British Museum.jpg — Pbuergler、CC BY-SA 3.0
  66. Maler der Grabkammer der Nefertari 003.jpg — ネフェルタリ墓の画家、パブリックドメイン
  67. Bust of Cleopatra VII - Altes Museum - Berlin - Germany 2017.jpg — José Luiz、パブリックドメイン
  68. Jean-François Champollion, by Léon Cogniet.jpg — レオン・コニエ(画)、パブリックドメイン
  69. Howard carter.jpg — シカゴ・デイリー・ニューズ、パブリックドメイン

目次

  1. 目この予習帳の読み方
  2. 序はじめに
  3. 1旅を読む3つの鍵
  4. 2時代の地層
  5. 3人物
  6. 4神々
  7. 5ヒエログリフ入門
  8. 6日ごとの見どころ
  9. 7食べる・買う
  10. 8言葉と数字
  11. 9現地での心得
  12. 附本と映画で、もう少し
  13. 典写真の出典